なぜ店名が「ガウディ」なのか|25年前のバルセロナのメモから

2026年は、アントニ・ガウディの没後100年にあたります。亡くなったのは1926年6月10日のことでした。その建築を覆うガウディのタイルを、私は25年前にバルセロナで見ています。

当店の名前は「タイルショップ・ガウディ」といいます。開業から25年以上この名前でやってきましたが、なぜこの名前にしたのかを、これまでどこにも書いてきませんでした。

100年の節目ですので、一度だけ書いておこうと思います。当時バルセロナで書いたメモも残っていましたので、あわせてご紹介します。

20歳のころに届いた一冊

20歳のころ。まだ行動範囲は半径10km、20km。世界が狭かった。

そんなとき、友人がスペイン旅行のお土産に、ガウディの写真集をくれた。

衝撃だった。「世の中にこんな不思議で有機的な建物があるのか……!」

当時の行動範囲は、せいぜい半径10キロか20キロほどでした。そこへ、会ったこともない建築家の仕事が、一冊の本になって外から届いたことになります。

この写真集は今も手元にあります。角が折れ、表紙が擦れています。

表紙は、サグラダ・ファミリアの塔の内側にある螺旋階段を見下ろした写真です。この一枚が後々まで効いてくるのですが、それは記事の終わりのほうで触れます。

店名について

開業のとき、店名の候補を並べて選んだという記憶がありません。

ガウディは、私の中で圧倒的な存在。20歳の時にあの写真集を見たとき、それこそハンマーで頭を殴られる位の衝撃だった。

それ以外、思い浮かばなかった。

店名は、20歳の私に世界の広さを教えてくれた、あの建築家から取りました。

それから約10年後、バルセロナへ

観光で出かけたのではありませんでした。店名にこの建築家の名前を掲げて商売を始めてしまった人間として、一度は実物を見ておかなければならないと考えていました。

滞在は5月13日から15日までの3日間です。そのとき現地で書きつけたメモが残っていましたので、25年ぶりに読み返しました。以下、引用はすべて当時のメモそのままです。

その2日前まで、シチリアにいました

スペインに入る直前、イタリアでモザイクの取材をしていました。モンレアーレ大聖堂の黄金のモザイク、それからローマ時代の床モザイクです。

これらの遺跡群は確かに素晴らしかった。しかしその直後にガウディの作品。対比が凄まじかった。180度違っていた。

イタリアで見たモザイクのほとんどは、技術の精密さの素晴らしさ。ガウディの作品は、一言で言えば、自由。しがらみを全く感じさせない。縛るものがない。

精密さを二日浴びた直後に、自由を見たことになります。順番が逆であれば、これほど差を感じなかったかもしれません。

5月13日|カサ・バトリョ、そしてカサ・ミラ

バルセロナに来て初めて見るガウディの作品。oh!本物だ!美しい建物!

タイルの色使いがとても素敵

そうだ、私はこれを見て建物が生きているみたいと最初に思ったんだ。私の原点、原動力になっているんだわ…

20歳のときに写真集を開いて、いちばん強く残ったのがこの建物でした。そのことを、10年後に実物の前で思い出しています。自分の原点がどこにあるのかを、現地で確かめた形になりました。

同じ日の午後、カサ・ミラへ向かいました。

想像して以上に重厚なイメージ。ダイナミック。ミュージアムになっている最上階。アーチが独特な雰囲気を醸し出している。

この形はなぜ?と思いめぐらすことは無駄なことだろうか。いやきっと何かあるに違いない。

近代の無駄のない生活(建築)が心の何かを奪っているのかも… きっと装飾(?)は心に豊さを与えてくれる。

最上階の屋根裏は、細い煉瓦のアーチが連続する不思議な空間です。なぜこの形なのかという問いを、その場では答えを持たないまま書きつけています。この問いは、このあと三日目まで尾を引くことになりました。

5月14日|グエル別邸とグエル公園

午前はグエル別邸です。門に鉄の龍がいます。

アイアンの造形がガウディ独特で素晴らしかった。固い素材で繊細な表現が出来るところがすごい!

ギリシャ神話をモチーフにした龍、インパクトが強かった。家を守っている感じがした。タイルの使い方も良かった。

午後にグエル公園へ移動しました。前日のカサ・ミラで書いた問いに、ここで自分なりの答えが出ています。

自由な発想が素晴らしい。彩色タイルの素敵さ、文字や動物の表し方の自由さ。枠にはまらない創作がのびのびとした気持ちにさせてくれた。

カーブのある造形にタイル装飾を施す手法。それが余計に自由さを感じさせてくれた。

今でもそうだ。一見無駄なこと、意味のないことが、心に豊さを与えてくれる。逆に言うと、装飾のない、無駄のない生活は心が貧しくなる一面を持っているかもしれない。

ここに出てくる「カーブのある造形にタイル装飾を施す手法」が、のちほど説明するトレンカディスという技法です。

誰が作ったのかということ

ここで一つ、書いておきたいことがあります。

広場の下には、太い柱が林立する空間があります。その天井に、割れた皿や瓶を埋め込んだ円盤がいくつも埋まっています。渦を巻いていたり、放射状に広がっていたりして、どれも星図か天体のように見えます。

グエル公園の下にあるあの宇宙的なモザイクアート。あれはガウディの協力者のジュジョールが作っている。

最高のコンビだと思う。ガウディの建築がなかったら、ジュジョールの作品は生まれていただろうか?

ジュゼップ・マリア・ジュジョール(1879–1949)は、ガウディより27歳下の建築家です。1911年から1913年にかけて、この公園のベンチと天井を、割れた陶片で装飾する仕事を担当しました。天井の円盤についても、ジュジョールの手によるものとする見方が有力です。

この人の名前は、前日に見た建物にも出てきます。カサ・バトリョの外壁にセラミックを加えたのも、カサ・ミラの煙突を仕上げたのも、ジュジョールでした。

初日にカサ・バトリョの前で「タイルの色使いがとても素敵」と書き、二日目にこの天井を見上げて宇宙的だと感じたわけですが、その色には同じ人物が関わっていたことになります。

それでも、ガウディの建築があったからこそ生まれた仕事だとも思います。あの曲面がなければ、割ったタイルを貼る理由がありません。場所を作る人と、そこに色を置く人がいて、この公園になっています。

日本の台所と、公園のベンチの裏

同じ日のメモに、少し妙なことが書いてあります。

とても不思議だと感じたのは、私がキッチンに作ったモザイクの海草と、公園のベンチの後ろにある模様がよく似ていたこと!

ここの模様は、前もって把握していたわけではないのに… 不思議!

当時、日本の自宅の台所に、自分でモザイクの海草を貼っていました。その模様によく似たものを、地球の反対側のベンチの裏で見たわけです。写真で先に見ていたということはありませんでした。

偶然だと思います。ただ、同じ材料で同じように手を動かしていると、似たところへ行き着くのかもしれない、とも思います。

家具のこと

公園の中に、ガウディが一時期暮らした家が残っています。現在はガウディ家博物館として公開されていて、本人がデザインした家具が置かれています。椅子、寝台、鏡、照明。

ガウディのデザインした家具にも興味津々。あんなに有機的なフォルムの椅子をどうやって生み出したのか。

やはり幼少の頃の自然観察がかなりの影響を与えていると思う。

椅子も長椅子も、脚と背もたれに直線がほとんどありません。骨を思わせる形もあれば、葉や茎のように見えるところもあります。座る人の体に合わせて削っていくと、結果としてこうなったようにも見えます。

ガウディは子どものころ、体が弱く、外で自然を観察して過ごすことが多かったと伝えられます。建物の形についても家具の形についても、その時間が元にあるのだと思います。大きな建築と、手で触れる椅子とで、同じ見方が使われているように感じました。

サグラダ・ファミリア

この旅でもっとも強く残ったのは、やはりこの建物でした。

やっぱり圧倒的な迫力だったのは、サグラダファミリア。かなりの高所。エレベーターで上まで上がり、降りてくるときには自力で歩いて降りる。それがとても嬉しかった。

かなりの高所にも、アルファベットのモザイクアートやデザインのモザイクアートとか設置してあり驚いた。

各所の彫刻にも感動した。壮大な建物を肌で感じられて感動した。建物に命が吹き込まれている感じがした。

塔はエレベーターで上りますが、降りるときは自分の足で階段を下ります。

驚いたのは、あれほど高いところにもモザイクが入っていたことでした。地上から見上げたのでは、何の材料を使っているかよくわかりません。それでもモザイクタイルが入っています。

行きも帰りも便利だからとエレベーターを使っていては見えないところです。かなりの高所だったので、時間はかかりましたが、自分の足で降りることができたのは本当に貴重な経験でした。

球体の集まりにカラフルなモザイクタイルを貼ったもの、アルファベットをモザイクで表したものなど、いろいろ間近で見ることができました。またそこで働く職人さんに挨拶をしながら降りていくのも楽しい時間でした。

現在の工事の進みぐあいや拝観の案内は、サグラダ・ファミリアの公式サイト(英語)で確認できます。

螺旋について

冒頭に書いた写真集の表紙は、この塔の内側の螺旋階段を見下ろした写真でした。その10年後に、同じ塔をエレベーターで上り、その螺旋を自分の足で降りたことになります。

ガウディは、自然観察が大好きだった子供だと言われている。ミクロ的な視点で観察してたようだ。

ガウディ建築からは、不思議と宇宙的ミクロ=マクロの相似性を体感した。フラクタルな世界を想起。

螺旋に興味が湧いた。螺旋は、宇宙そのもの。なぜガウディはそこをわかっていたのか。

貝殻の巻き方も、植物の葉のつき方も、渦を巻く銀河も螺旋です。ごく小さなものと、とてつもなく大きなものが、同じ形をしています。ガウディはそれを建築の形として使いました。

なぜガウディがそこまで分かっていたのかは、今も分かりません。観察の積み重ねだけで届く場所なのかどうか。インスピレーションの源のようなものがあって、そこから降りてくるものを受け取っていたのではないか、と思うことがあります。

5月15日|カサ・ビセンス

最終日に見たのは、ガウディの初期の住宅です。ここも内部には入れず、外から眺めました。

一番普通の家に近い印象。中を見てみたい。きっと私のやりたいことに近いのかもしれない。

あの家のために焼いたタイル。あの家のあの場所にタイルを用意したい…というのは当然の成り行きだろう…

この建物の外壁のタイルは、この家のために作られたものです。その場所のために、その柄を、その枚数だけ用意する。当時の私は、それを「当然の成り行き」と書いていました。

25年後、それが仕事になりました。今も、この建物のこの場所のためにタイルを作る、という仕事を続けています。(これまでの制作例はこちら)

ピカソ美術館

バルセロナで、もう一か所どうしても行きたいところがありました。ピカソ美術館です。

治安のよくない地区のすぐ近くにあり、道を一本間違えてしまいました。現地の人に威嚇され、たいへん怖い思いをしましたが、たまたま前を歩いていた西洋人のカップルにぴたりとくっついて歩き、どうにか無事にたどり着きました。

展示は年代順でした。初期の作品から、後期の作品まで。画風が変わっていく様子が、そのまま並んでいます。

初期の絵は写実的で、見たものをそのまま写し取るという描き方でした。それが晩年には抽象画に変わっていきます。

見たものをそのまま写し取れることが、絵が上手だということだと思われがちです。私もそう思います。それはそうなのです。それなのに、心が動かないことがあります。

その「何か」とは何なのか。

もう二つの建物|ドメネク・イ・ムンタネー

バルセロナで見るべきものは、ガウディの作品だけではありません。同じ時代に活動したドメネク・イ・ムンタネーの建築を見ずに帰ることはできませんので、サン・パウ病院とカタルーニャ音楽堂を見学しました。サン・パウ病院は初日に、カタルーニャ音楽堂は最終日に訪ねています。

ムンタネーはガウディより3歳年上です。バルセロナに建築学校が開いた1875年から教壇に立ち、のちに校長を務めました。ガウディが学生だった時期と重なります。

モデルニスモという運動の理論を先に言葉にしたのもこの人で、1878年に書いた「国民建築を求めて」という論考は、ガウディの代表作がまだ一つも建っていない時期のものです。

二人は同じ時代に、逆の方向へ進みました。

カタルーニャ音楽堂は本当に豪華で、しかし現在の豪華という概念とは全く違う。アールヌーボーの全盛期に作られた。この建物は、唯一の世界観で作られている。

タイルをハンドカットで組み合わせて絵を作る技法で、たくさんのモチーフが作られていた。とても気持ちが明るくなるようなデザイン。

また音楽ホールの天井のステンドグラスが素晴らしく、そのデザインは他のステンドグラスとは一線を画している。やはりどこか宇宙的だった。

こちらも見学ができます。案内はカタルーニャ音楽堂の公式サイト(英語)にあります。

サン・パウ病院は、これが本当に病院なのかと思うほどタイルで彩られた施設です。

各所でタイルをハンドカットしたモザイクアートが作られていた。それは本当に筆で描いたように形作られていた。

それを見て確かに素晴らしいんだ。けれども、私はこのできの良さに、なぜか心を奪われなかった。

技術としては、文句のつけようがありません。筆で描いたような線を、割ったタイルで作っているのです。それでも、当時の私の心は動きませんでした。

技術の高さと、心が動くこととは別だった

一週間前、バチカンで

ピカソ美術館に行くおよそ一週間前、ローマのバチカン市国でも、たくさんのモザイクを見ていました。

そこに、これは絵画なのかモザイクなのか判断のつかない作品がありました。近づいてよく見ると、モザイクだと分かりました。

すごい技術だと思いました。上手だとも思いました。そして、まあまあ感動しました。

そのまま、少しだけもやもやしたまま、その前を立ち去りました。

そして、ピカソ美術館で

一週間後、年代順に並んだ絵の前で、何かが結びつきました。

上手だから良いというものではない。写真のように写した(移した)から素晴らしいというものでもない。

そこに個性が乗っているかどうか。その人の感性が加わっているかどうか。そこに何らかの普遍性があるかどうか。

同じ宗教建築で、感じ方が違った

すべてがそうだとは思いませんが、イタリアで見たモザイクには、宗教の権力や権威を示すという意味合いもあったのかもしれない、と感じました。それを現代の人間がアートとして見たときに、どこか苦い感じがするのは、私だけでしょうか。

対してサグラダ・ファミリアは、同じ宗教の建物でありながら、魂が解き放たれるような感動がありました。

この違いは、作る人の意思や感情が、作品に乗るかどうかではないかと思います。技術はもちろん必要です。しかし、より人の心を揺さぶるのは、人の意志や感情のほうではないでしょうか。

イタリアとスペインの取材旅行は、そのことを強く体感した旅となりました。

左脳と右脳

同じことを、別の言い方でも考えていました。

イタリアのモザイクやサン・パウ病院のモザイクは、頭で左脳をたくさん使った作品だと思う。もしくは、絵画の置き換えに過ぎないというモザイクの位置づけ。

左脳をたくさん使った作品だから、左脳に働きかけられるのだと思う。右脳は創造性を司る領域。感動も、やはり右脳の領域なのだと思う。

絵画の置き換えとしてのモザイク、という言い方がいちばん近いと思います。先に絵があり、それを別の材料に移し替える。だから精度が問われます。

ガウディの使い方はそうではありませんでした。割れたタイルでなければできないことを、割れたタイルでやっています。曲面に沿わせ、目地を模様の一部として使い、同じ面を二つ作らない。移し替えではなく、その材料からしか出てこない形になっています。

私が惹かれたのはそちらでした。

もう少し踏み込んで言えば、ガウディには、普通の人には見えないもの、感じられないものを感じ取る力があったのだと思います。五感より先に届くもの、と言ってもいいかもしれません。インスピレーションの源から降りてくるものを、そのまま形にできる人だったのでしょう。

そういうものを持った人の仕事に、多くの人が引きつけられています。私もその一人でした。そして、その惹かれ方をした人間が、タイルを売る店に「ガウディ」という名前をつけたわけです。

トレンカディスという技法

ここまで何度か出てきた、割れたタイルを使う技法について説明します。

ガウディの建物をご覧になった方がまず覚えているのは、おそらく色です。グエル公園のうねるベンチ、カサ・バトリョの壁。あれは、割れたタイルや陶器のかけらを、割れた形のまま貼ったものです。

この技法をトレンカディス(trencadís)といいます。カタルーニャ語で「砕いたもの」という意味です。

特徴は二つあります。

  • 形をそろえない 四角に切りそろえず、割れた形のまま使います。そのため、同じ面が二つとありません
  • 曲面に貼れる 平らなタイルは曲面に貼れませんが、割ってしまえば貼れます。グエル公園のベンチのようにうねった面に色を載せられるのは、このためです(メモにあった「カーブのある造形にタイル装飾を施す手法」がこれにあたります)

当店での言葉の使い分け

工法によって呼び方を分けています。

  • モザイクアート 手で一片ずつ切って(割って)形を作るもの。トレンカディスはこちらにあたります
  • モザイクタイルアート 1cm角などの規格タイルを、そのままの形で組むもの

この二つは言い換えではありません。必要な道具も、できることも違います。

当店の制作例|ガウディのお好きな方からのご依頼で

ガウディの建築がお好きだという方から、ガーデンベンチのご依頼をいただいたことがあります。ご希望は「ガウディをイメージしてほしい」ということでした。

20歳のときに写真集で衝撃を受けた建築から発想をもらって、それを自分の手で形にする。しかもそれを、同じ建築を好きだとおっしゃる方にお届けする。制作しているあいだ、本当にうれしい仕事でした。

ベンチは曲面ですので、タイルを割らなければ貼れません。ここまで書いてきたトレンカディスの考え方が、そのまま必要になります。

トレンカディスで仕上げた約3mのガウディ風モザイクベンチ制作例「ガウディのような庭にしたい」から始まった
約3mのモザイクベンチ

ご自分で作ってみる場合

  • 道具 かなづち・タイルニッパー/接着剤/目地材/スポンジ
  • 材料 割ってよいタイル。規格外品や端材で十分です。

(お客さまが作られた作品のページもあります)

タイルショップ・ガウディの看板。手描きタイルで TILE SHOP GAUDI と並べたもの材料のご購入タイルショップ・ガウディ BASE店で
材料を販売しています

おわりに

没後100年をきっかけに、当店を見つけてくださった方がいらっしゃいます。「ガウディ」で検索して、タイル屋にたどり着いた、とのことでした。

100年前に亡くなった建築家の名前が、今も人を動かしています。20歳の私を動かしたのと、おそらく同じ力で。

当店では、モザイクアートの制作と納品を承っています。ガーデンベンチのような曲面のものから、店舗や施設の壁面まで、ご相談から納品までお引き受けします。

有馬温泉 湯屋松風『籟』の蒸し風呂。八咫烏をテーマにしたモザイクアート制作例有馬温泉 湯屋松風『籟』
3羽のカラスに宿る有馬伝承
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